昭和50年4月19日 朝の御理解
御理解 第89節
「此方の道は傘一本で開くことができる。」
此の方の道は黙っておっても、開く事が出来るという風に頂いても良いです。福岡の教会に、国武先生と云う方が、私が福岡に居ります時分に修行しておられました。此の方は、満州の方へ関東州です。あそこは何とかと云いましたか小さい町です。そこに布教された。大体ここの吉井教会のお弟子さんで、そして引上げて帰って来られて福岡の三代吉木辰次郎先生と、学院が一緒であったとか何とかと言う様な関係で、引上げて帰って来られて、あそこに籍を移されてあそこから西新に道を開かれた方です。
中々気骨のある先生でした。吉木先生と同年位というのですから、もう現在居られますならば随分お年です。この頃からあちらの総代をしておるという方が参って来て、あちらにも大した大きな教会じゃないけれども、二階建てで小じんまりした教会が出来たという話を聞いておりましたが。此の方があちらに布教される時に、ただあちらまで行くだけの旅費と、お社を背中に担うてお出られた。まぁ無鉄砲と云えば無鉄砲ですけれども、昔はそういう先生方が多かったですね。
福岡の吉木先生でも、やっぱり初代はそうだったんです。まだ汽車のない頃ですから、小倉から福岡までお出られる。それこそお社だけをお神様だけを御供して、布教地に赴かれるといった様な生き方だ。いうならば神様を信じきっての布教である。いやというよりも命懸けの布教である。ですから成程傘一本でも開ける道であり、人の軒下を借りてからでも道が開ける道である。国武先生あちらへ着かれて、あっそうそう満州の撫順と言う所がありますね。撫順炭鉱のある所です。
とにかくあちらに着かれてどこへ行くとも当てがない。今日は神様を御供しておるのであるから、自分はどうでもよい公園のベンチに掛けて、思案をしておられた。段々日が暮れかかりましたから、そうもしておられんので、どこかの宿につかれなければならん。自分はもう例えば此処へ夜通し座っとっても良いけれど、神様をこう言う所では相済まん。そこで一番一流の旅館に入らして頂いた。そしてそこの一番良いお座敷にと思うて、その旅館に行って此処が一番良い部屋だろうと思う所へ入られた。
そして神様を床の間に、仮奉斎をしておられる所へ、そこの女将さんがやって見えられた。まぁ突然と云うかそして床の間に、金光様のお社があるのでびっくりされた、そこの女将さんが。そして国武先生のお話を聞かれて、これは神様のご都合に違いないと言うて、その方が内地に、当時日本の事を内地と言っておりました。で金光様の信心を熱心にしておられた。所がこの地方に金光様がないので、何とか教会が出来たら良かろうと思うておられるお家であったと言う事です。
それから幾日かそこにお世話になって、そこから家を探して貰うて、そこから布教を始められたというのですからね。確かに傘一本で開かれた。けども私は思いますのに、確かにそういう冒険的なですね、又はそういう命懸けでの、いうなら背水の陣を敷いての事ですから、神様も是をどうとかしてやらん訳には行くまいけれども、只それだけではいかん。それから本当にいわゆる開く事が出来ると言われる様に、広げた上に拡がって行く事でなからなければならんのです。それでは出来ん。
そこで私は思うのですがね。例えば商売なら商売の道でも、商売の道というものをいうならば、コツというものを体得したら、資本はなくても商売は出来ると言う事が言えると思うです。私が引き揚げて帰って来て、商売をさせて貰うという時に、資本はどこからも金の十円でも借りませんでした。それこそ福岡へ出ます時には、そうですね、お米が二升位だったでしょうか。小さい篭にそれに小さいお神様、お社をお供してそれこそ、先生方が布教にでも出られるような状態でした。
福岡の町というのは私は詳しく知らないんです。けどまぁ福岡の教会だけは知っておりますし、親奥様の里でもありますから、あちらに参りました。そして親先生に今晩はここでお通夜させて頂きたいと思いますから、宜しくお願いしますと申しましたら、吉木先生がこの方の道はお通夜てんなんてんで助かる道じゃなかばいと言われた。いうなら泊まらせんと言う意味なんです。
それから私はお通夜という言葉が悪かったつじゃろう。だから御祈念をし通すと言う事なら良かろうと思うてから、もうお広前から動かなかった。もう表が閉まりよるから表の此処の所がカーテンになってますもんね福岡は。カーテンを閉めた私はそこで御祈念をしよる。それから一時間か二時間か御祈念をしただろうかと思う頃でした。一寸御祈念をひときりつけてから、頭を上げたらカーテンの所からこうやって首を出してから、吉木先生が楽室の方を指差して、床をとってあるから早よう休まんのと言われた。
私はもう驚きました。あぁいう大教会の養子になられるくらいだから違うと。私がそれこそ一生懸命命懸けの様な思いで福岡の方へ出て来ている事を知っておられた。だから教える事だけは本当のことを教えられた。この方の道はお通夜てんなんてんと言う様な事で助かる道じゃなか。けども私が御祈念をしながら、動かんもんですから恐らくは私が一時間か、二時間か覚えませんけれども、その間やはり一緒にご神前で御祈念をして下さったんだと思うんです。そして御祈念をし終って一寸見られた所が。
まぁだ私がそこで御祈念しておるもんだから呼び掛けられたんです。とても寝るだんじゃあない。有難うございますと言うて、折角言うて頂くから、一寸休ませて頂いたけれども、休む気は致しませんから、また起きて朝の御祈念までご祈念させてもろうた。朝の食事もよばれてそれから、どこへ行くとも行く当てがない。朝のご祈念が終ってそれから、福岡の教会を出てから、今から考えますと須崎の方へ向かって、暫く歩いた所へ朝早うから起きてある、あの辺りは戦災に会って。
みんな小さいバラックが、所々建っておるという時分でした。そしたらそこにほんな表の三畳位の部屋に、大きな長火鉢があって、長火鉢の上にそれこそ布袋さんの様なお爺さんが一人座っておられます。それで私はそこへ入ってから、私は久留米のこういう者ですが、商売ならどんなことでも良いですけれども、何か商売になるような事はないですかと。あんまり変わった奴が来たと思うて、向こうもビックリされたごたる風で、大体あんたは此所をどこと思うて来とるかち。
どこち私は全然知らんのですから、家の開いてる所へ入って尋ねて、そこから糸口を見出して、それから何かと云うて、私は資本もないのですから。その時分はいわゆる闇商売という商売が普通闇商売でした。ですから品物が例えば純綿とか、純米食べ物なんかはどんな素人でもドンドン売れる時でした。ありさえすればかと云うて売れない品物もございました。もう素人では売れないと言った様な品物。だからそげんとは、委託に出して委託でも良いから売ってくれという様なものがありました。
それは久留米にもありましたけれども、同じ商売するならやっぱ九州の中心地である福岡と。もう兎に角大商人を目指して行っとるとですから、やっぱり中心が良いと思うたので福岡へ出たんです。私があんまり変わった事を云うもんですから、まあ兎に角上がんなさいと云うて、上げて頂いてそれこそ玉露のお茶に、熱いお湯をサーッとさしてから、頂かれる方でした。
それからお茶でもよばれて、そしてあぁたその実は此所はね、色んな人間が集まって来て、此所で闇取引をやるような人達どんがやってくるけん、何か良か商売が無いとも限らん。ばってあんたなんで福岡の広い町を歩くかと。別に何と云って自転車も何もないのですから、ボチボチ歩かにゃでけん。あんたも変わった奴じゃあるなぁ。とにかく裏の物置に自転車が一台入っとるけん見て来なさいち言う。
いえ自転車は入っとりましょうけども、私はお金がないですよと云うたら、まあ良いから見て来なさいと云うたら、当時の宮田製のアサヒという自転車がありましたね。中古ではありますけども、立派な自転車が一台入っとりますもん。そればあんたに売ってあげるちいう訳。売って上げると云うても私はお金がないとです。兎に角五千円で良かち云われる。なら兎に角五日間貸して下さい。と言うて福岡の教会を出て三十分後には自転車一台私は手に入れました。
そしてそこでこういう様な物を持って来とるから、これば見本に当たって見ると良いと云うて、丁度洋服生地の様な見本を、この位ばっかりのを一月から借りました。そして私は福岡の町を歩きました。一月後には自転車を三台従業員を三名、もうそれこそ置いた物を取る様なおかげでした。その時分に住まう所も転々と致しました。愛宕下に暫く居りました。それからあそこは何と云いますか、住吉区の田舎の方で鉄道線路があるすぐ先の方へ、小さい洋服屋さんがあった。
そこにも洋服生地を持って行って、洋服生地を売りに行ってから、そこで色々話しとったら、嫁さんがお産歩きに帰っておる。それでお爺さんと息子の二人です。色々話しよったら、嫁後がお産から帰ってくるまでなら、二階に居って良いですと云われるから、そこん所の二階に暫く、おかげ頂いておった。と云う様にです私は商売をさせて頂くと云う事に資本は要らない。それにはね商売の道を心得ておったからです。
考えて見ると勿論おかげと云う事を信じておったからでもあります。私が須崎のそこの入った家の方は、見立久司郎と云う方でした。不思議な事で椛目に簾戸が出来ましたですね、すっとあの時に簾戸を頼んだ方が、その見立久司郎さんが経営をしておられる家具屋でありました。もうそれは十年位経ってからの事でしたけどね。その後どうなられたかは分かりませんけどもです。確かにそういう神様を信ずるとか信じないとかは別として、商売の道を心得たら、それこそ天秤棒一本あれば商売が出来る。
それを私は考えておった。いくら資本がなからにゃ出来んか何か、資本を借り回ってこうと云う様なそれこそ天秤棒一本あれば、商売はできるてそれから段々おかげを頂いて、大きな店の経営でもする事が出来る。それは一つの確信を持ってるからですね、これは信心とは別の進展。それは商売なら私は大体酒屋ですけれども、何をしても良いと思いよった。全然畑違いの呉服類やら繊維類、勿論闇の物ばっかりでしたけれども。
おかげ頂いておった。私はこの方の道は傘一本で開く事が出来る、と云う事は国武先生の例えをとりますとです。それこそ神様を信じて云うならば、もし道が出来んなら死んでも構わんと云う位なです、背水の陣を敷いてのそういう潔い心には、神様が必ず働きなさるでしょうけれどもです。けれども開けに開けると云う事は、私は本当の道を体得しなければだめだと思います。
傘一本で開く事が出来ると言う事は、私はこれをいつも安心と云う風に頂きます。安心の大みかげというのは、道を知り道を体得してそしてそこに、はっきりとした信心から生れて来る、安心の境地が開けて来る。どんなに曇って参りましても一本の傘を持って居れば安心です。傘を持ってないならいつ降りだすか分からん、いつ濡れるか分からんという不安があります。降って来れば開けば良い一本の傘を持って居ると云う事は、安心の境地を開くと言う事であります。
けれどもその安心の境地を開いて、そして後に布教に出ると言った様な事は、本当は出来ません。けれども神様を信じて疑わない。本当の大安心と言った様な境地では無くてです。神様をある意味においての、信じ切らしてもらえる信心は頂いておかねば、潔い心が第一生れません。背水の陣を敷くと言った様な事が出来ません。と云うのはこれから一歩も後には退がられん、若し下がる時には、自分は死ぬ時だという位に潔よい心が信心には必要です。勿論これはお道の教師にでもなられた。
またなられる方に対する御理解に違いはありませんけれども。信心させて頂く者は、やはり目指す所はそこなんです。この方の道は傘一本で開く事が出来る道であります。どういう意味かは分かりませんけれども、昔のいうなら気骨のある先生方は、皆傘一本で開かれた方ばっかりである。それはある程度の神様を頂き、信心の道を体得してそして布教に出られた。その上にです云うならば死んでもままよと云った様な行き方の中に、徳を受けようと思えばままよと言う様な心になれよ。
ままよとは死んでもままよの事ぞ、と言う様な潔い信心がそこから出来る。そういう所を通った向こうに安心があるのです。成程こういう気持ちになれば、こういうおかげが受けられる。そこから安心の境地が開けて来る。いうならば黙って居っても道が開けると云うのであります。黙ってると云う事は不平もなからなければ不足も無いと云う境地であります。いうなら自分の思い様にならなかったら。
苛々すると言った様なものではないのです。それこそ昨日でしたかね、その中にも申しました様に、欲しいとも思わぬ雨垂れの音を聞くという程しの境地が開けた所から、道が開けるのです。自分自身が助かっておる姿なのですから。あれが欲しいこれが欲しいと思わない心の状態。自分自身がそのような助かりを頂いておる時に、そこに助けを求めてくる。それを助ける力が頂けるのです。難しいといえば大変難しい。まぁただこんな短い御理解ですから、簡単と云えばこんな簡単な事はない。
この方の道は傘一本で開くことが出来る。これを例えば商売に云うならばです。この方の道はと云う事を、商売はです無資本ででも、商売人になる事が出来る、商売が出来ると言う事も云えましょう。又は黙っておっておっても、この方の道は開けるんだという風にも頂けるでしょう。それには商売なら商売の道を体得しとらなければ、そんな潔い心も生れませんせし、又黙って済む程しの心の状態、心の助かりが頂けておらなければなりません。いうならば傘一本いうなら。
信心による安心の心というものが開けておらなければでけんのですから、言葉こそ短くて見やすいですけれども、その実は大変難しい事だと思います。けどもその難しいそのことに取り組ませて頂いて、段々お取次を頂いての事であるから。そこにいうならば右になろうが、左になろうが、神様にお任せしきれる信心が出来てくる。お任せしきると言う事は、いうなら右になっても、左になっても構わんという、いうなら死んでもままよという様な心に近い心だと思うです。
そう言う所から、段々信心の稽古をさせて頂いて、愈々安心の心を目指させて頂いてのおかげ。これは信心に依らなければ頂ける事の出来ないおかげであり、また、境地であります。その安心がそのまま、あの世にも持って行け、この世にも残しておけるいう御神徳の事だと思います。御神徳を受けなければ、それこそ欲しいとも思わんという様な心の状態は生れて参りません。三代金光様が初めの間は、辛うて辛うてよう泣いたと仰せられる。そこが修行であります。
只々親様が座っておれば楽じゃと仰せられたから、座っておりましたら泣く泣く辛抱しておられましたら思う事も無くなり、欲しいというものも無くなって只有難くて有難くてという境地が開けておられます。所謂思う事もなくなり欲しい事も無くなると云う事は我情我欲が無くなったと云う事であります。云うならば我情我欲がなくなった所にです、我が身は神徳の中に生かされてあるんだという、不思議な不思議なおかげの世界に住む事が出来るのです。ですからこそ有り難うて有り難うてと言う事にもなって来る訳ですね。
どうぞ。